後戻りする季節
昨年の真冬に仕事場を吉祥寺に移した。
フリーの編集者・ライターなので、
昼間にふらふらしていることも多く、
いつの間にやら午後3時〜5時くらいに
井の頭公園を一周するのが習慣になってしまった。
冬の一時期、池の水が抜かれ、
歩くこちらの気分もどこか閑散としていたが、
桜が満開となり、
水が満ちた池には白鳥のボートが浮かび、
何より降り注ぐ陽射しがあたたかで、
長い冬を抜けたことを実感した。
ようやく空きを見つけたベンチで広げた文庫本は、
今日から読み始める「末裔」(著/絲山秋子)。
最初の一文
〈鍵穴はどこにもなかった。〉
もしかしたら、この短い文章が作家の頭にパッと浮かび、
そこから始まった小説なのかもしれない。
それくらい、その一文は豊かな水と底が見えない深さを持っている。
もし、仕事を終えて家に帰り、あるはずの鍵穴がなかったら?
それを一体誰のせいにして、どのように理解したらいいのだろう。
会社を辞めて5年ほどが経ち、なんとか今までやってこれている。
しかし、5年前の決断が正しかったのかどうか、たまに自信がなくなる。
鍵は失くさず握りしめているのに、
鍵穴がなかったら・・・。
ほんの少し季節が後戻りしたような気がした。
文章ってすごいなあ。